あなたの「富士山物語」(戦時下の、貴重な「富士登山」を体験した”わたしの富士山物語”/佐伯良彦)

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ページID1019347  更新日 2023年1月13日

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戦時下の、貴重な「富士登山」を体験した”わたしの富士山物語”/佐伯良彦

昭和十八年の夏、十四歳だった私は「富士山頂」に立っていた。

時は太平洋戦争の真っ只中、伯父が職業軍人だったこともあり、志願して東京陸軍少年通信兵学校に入学し、軍事訓練の一貫としての登山だった。

富士吉田の浅間神社から、軍服に巻脚絆(まききゃはん・ゲートル)をつけた正装に、重い背嚢を背負い、途中の仮眠等ある筈も無く、只管強行軍での登頂だった。九合目から上のジグザグの急斜面の厳しかったこと、それだけに、自分達だけの静寂な山頂でのご来光の荘厳さに感激した想い出は、いまでも鮮やかに脳裏に蘇る。

それから幾星霜の昭和三十九年、少年兵時代には思いもよらなかった、故郷兵庫県から富士山麓への転居の局面を迎えることになる。以降四十五年、毎日家の窓から「富士山」の姿を目の当りにすることの出来る静岡県民になった。

然し現役時代は仕事に追われ、僅かに同僚との登頂や富士山クリーン作戦への参加等だけで、富士山への関わりはそれ程ではなかった。

退職後、健康維持にと歩くことに興味を持ち、この頃詳しく紹介され始めた富士山麓周辺を訪ねることになる。妻と訪ねた「宝永山」、六歳の孫も一緒に登った本七合目(三〇一〇メートル)、御殿庭・幕岩・腰切塚・西臼塚等々の自然休養林のハイキング、その景観と雄大さに圧倒された。

それがキッカケで、山歩きに興味を持ち、平成九年には”思いついての百山登山”を始め、平成二十一年には(多くの低山も含まれているが)夫婦揃っての”百山登山”を成し遂げることに成功。

私にとっての「富士山」は、今も夏が来ると蘇る少年時代の貴重な想い出と、その時には夢にも思わなかった山麓での生活、そして山歩きの楽しさを教わり、それに依って現在の健康が維持出来ている原動力を与えてくれた、偉大で貴重な存在なのだ。

そして、今も春先には基幹林道周辺でヨモギを採取しては”富士山ヨモギ餅”を搗き、秋には五合目周辺の紅葉を愛で、と四季の移ろいを楽しませてくれている有り難いお山なのだ。

このページに関するお問い合わせ

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