あなたの「富士山物語」(十五才の夏、家族で頑張った富士登山/加藤育子)

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ページID1019346  更新日 2023年1月13日

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十五才の夏、家族で頑張った富士登山/加藤育子

今から四年前、高校受験を控えていた長男が、夏休み直前いきなり

「母さん。今年の夏は、富士山に登りたい。」と爆弾発言。夏の旅行はムリかな?と諦めかけてた矢先に、息子からの突拍子もない提案に、中一の妹が「え~っ。お母さんの体力で、富士山。大丈夫?」と言われてしまった。主人も私も、静岡県内に生まれ四十数年余り。県民として日々過ごして来ましたが、富士山には一度も登った経験がなく、近くて遠い存在でした。「今なら、ギリギリ登れる気力と体力があるよな。」と主人。

「子供が成長して、いつの日か、兄ちゃんが十五才の受験の夏に、家族皆で富士山に登ったよね。と語れるのもいいもんだね。」と私。その場で富士山計画は決まりました。盆明けの八月十六日の早朝六時、小雨まじりの五合目を出発。初心者には厳しいという急勾配の富士宮ルート。最初に異変を起こしたのは、一番元気なはずの娘でした。

「お母さん。頭が痛いし、気持ち悪いよ。」と、張りの無い声に、合羽越しの顔を覗き込むと青白い頬だったので、七合目の休憩小屋に一時間以上停まる事に・・・。その後、再び元気を取り戻した娘の顔に赤みがさして笑みがこぼれたのを期に「これなら、大丈夫。」と主人が判断。遅れめの再出発となりました。頂上までは長い道程。ムリは絶対厳禁という事で、家族間で各休憩所に着いたら、必ず最低でも、十分は休もう、という約束事を決めた。パワー全開の兄妹が先導。主人と私が後に続く体制で歩き始めました。高度が上昇するにつれ、雨は止み霧や雲が流れ、午後一時過ぎ、やっと頂上に到着した時には、快晴の天気に変わっていました。先ずは、山頂にある上宮の神社にて四人そろって登山の無事と、受験の必勝祈願の御参り。夏だけの山頂郵便局から絵葉書も投函した。この日を境に息子は、目の色が変わる位の猛勉強を始めました。きっと、日本一、強力な山の神様のパワーを持ち帰って来たのかもしれません。

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