あなたの「富士山物語」(心に残る富士登山/中井己)

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ページID1019343  更新日 2023年1月13日

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心に残る富士登山/中井己

我が家の北東、牧の原台地の上に聳える日本一の山。富士登山は子供の頃からの夢だった。青年会の月例会で富士登山が話題になるや即時、明後日行こうと話は決まった。

初日、大宮口登山道三合目に宿泊、午前零時登山者の声に目を覚まし、忙しく宿を立つ。木立の間から大宮の街燈りが美しい。誰かが何人抜くかやってみようと、歩を速めた。百数十人位追越した頃、登山者の六根精浄の声が聴えないのに気付いた。這松の中、皆で大声で呼んでも反応はない。鉄線に沿い登って来たが鉄線は見当らない。戻ろうと思う間もなく風雨が強まり、提灯は吹き飛び暗闇の嵐の中、雪茣蓙に身を包み、金剛杖を絆に八名は歩く、年長の友が「杖を放すなよ。」と悲壮の大声、私は六名の点呼をした。漸く夜明け、岩間を縫って登る。屏風岩に遮られ、下から砂利混じりの雨で動けない。八名は輪になって無言で震えて足元の雪を見つめていた。ようやく風雨が静まり、逃げる様に降りる。下りは速く原始林に迷い込んでしまった。

空腹を満たす弁当は既になく、心痛な表情は隠せない。私は樹海に入ると出られないと聞いていて、心配だが口外してはならない。この時目前の朽ち木の蔭に、草鞋と空缶を発見。氏神様のお助けだと思った。道がこの辺にあるとのお達しだ。果してお中道と記した大きな自然石に矢印がある。同様の道しるべに従って歩くと、大きな沢だ。電柱大の丸太が二本鉄線で吊り下げてある。遥か向う岸にも同様の丸太が二本下って見える。大きな沢の上も下も見えないが、人の通った跡がある。

私達は、躊躇した。「怖いで戻るか。」と言う者があったが、渡るしかないと決行した。落石が深い谷間に消えて行く。丸太を一人ずつ慎重に渡る。漸く渡り終って安堵する。年少の一人が、「俺は動けない、熱いお茶が欲しい。」顔色が悪い震える彼は、「ここに居る、皆行ってくれ。」と言うには驚いた。同僚が「馬鹿を言うな。」と言って背負うと彼は「すまんな。」と言って進む。交替して歩いて行くと、「太鼓の音だ。」一喜一憂、怖怖と近づくと、木立の中に建物が見え、行者の道場らしい。私達を見ると「おめでとうございます。」と出迎えてくれた。大沢渡りの大業を果したとのことだった。この道場の方々の手厚いもてなしに、一同元気になり、今後の行程を教えて頂き、お中道のお花畑、人穴など見聞し、吉田口登山道を過ぎ、須走口登山道から下る。夕暮れ迫る須走に、そして御殿場駅へ。意気込んだ富士登山は富士山一周、御中道巡り、尊い教訓と、体験に終った。

三七七六メートルの登頂は夢に終わったと諦らめていたが、七十二才の八月、倅と孫の中二、小六の四人で、頂上浅間大社の七十才以上登山者名簿に記帳出来た。

山の遭難ニュースを聞く度に、七十年前の無謀な行動を反省し、私達の二の舞を演じること無き様、願ってやまない。

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