あなたの「富士山物語」(富士登山と塩/大石容一)

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ページID1019356  更新日 2023年1月13日

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富士登山と塩/大石容一

それは昭和二十三年七月のことだった。戦後まもなく食糧事情がまだ悪かった頃、農学校の友だち五人で富士登山を計画した。主食はもちろん、調味料としての塩も不足がちで楽に手に入らなかった。そこである一人の友だちの発案があった。それは富士山の麓の方ではどういうわけか塩が高く売れるそうだから、富士登山がてら塩を持って行って売ってこようと衆智を集めた。つまり、趣味と実益をかねた富士登山をしようということだった。私たちの割合近くの海岸には、戦時中から塩田というのがあって、割合楽に塩が手に入った。そこで一人五升位ずつリュックに詰めて行こうということになった。もちろん学生の分際だから小使はない、塩代も後払いである。登山用の杖も新調するのはもったいないというので、みんな父や兄たちの使ったお古で間に合せて出発することにした。一度は登りたい憧れの富士山、日本一の山だからみんな喜び勇んで出掛けた。

リュックの中の塩と古い杖を気にしながら、ようやく富士山の麓の集落についた。そしていよいよ生れて初めての俄か商が始まった。初めて家に入った時は、足がすくんで言うこともしどろもどろであった。「せっかくきてくれたが家では間に合っているからいらないよ。」と即座に断わられるありさまだった。重い足で次の家に行くと、「もう少し安くしてくれれば買ってあげるよ。」という始末で、仕入値で売るのがやっとのことだった。つまり儲けるどころか損をしないのがよいことで、後に残ったのはくたびれ儲だけだった。

しかし一合目からずっと歩いて行き、ご来光を拝めた時はみんな大満足で、塩のことも忘れ晴々とした気持ちになっていた。今にして思えば趣味と実益を兼ねるつもりだった富士登山も、六十二年たった今も忘れられないよき青春の思い出である。

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