人づくりちょっといい話19

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ページID1018544  更新日 2023年1月11日

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何をしたかではなく、どう生きたか

二月四日。「この日から春」と言う人もいらっしゃいますね。節分の豆まきの声が遠くから聞こえてくる。この遠音ということ、日本人は「遠音」とか「遠花火」とか「遠太鼓」とか、遠いということを一つの情緒にして生きてきた傾向がありますね。さて、四回にわたって明治から昭和にかけての文豪、志賀直哉さんを中心にした話をしてみたいんです。

今回は、志賀さんが珍しく怒った時の話です。江戸時代、西郷隆盛との間に話をつけて江戸城開城を決定した、あの勝海舟に対して怒ったことがあるんです。勝海舟が明治になってから赤坂の氷川町に住んで、『氷川清和』というエッセイを記していますが、これが、べらんめい調でとても面白い。その中に二宮尊徳を評価しない発言があったんです。

それを志賀さんはピシッと取り上げ「それはいけない。勝海舟は、尊徳を一本気のど百姓として簡単に扱ってしまっている、政治以外の事は頭にない海舟としてはもっとものところもあろうが、今日になってみれば一家を再興し、三箇村を興すために十年もかかって捨て身で働いてきた尊徳が、当時の時代の一方を一人で背負っていた。そういう考え方をしなければいけないんじゃないか。勝海舟自身よりも尊徳の方がはるかに根本的な命ある仕事をしていたと思うと面白いことだ」と批判しています。

そして他のことに触れながら、また元へ戻って「時代の流れに乗って仕事をするやつは、その時に時代の流れがなければ何もしなかったかもしれないという弱みがある。尊徳は時代の流れには没交渉なやつだった。むしろ時代の流れは尊徳には合わなかった。それでも二宮尊徳は一本槍で捨て身で進んでいった。時代に普遍がある教えを身をもって残していったんだ。実に強い男である」と言うんです。

志賀さんのおっしゃる「時代の流れに乗って仕事をするやつは、その時に時代の流れがなければ何もしなかったかもしれないという弱みがある」。言い換えれば、「時代とか何とか言うけれども、その前に人間だろう。人間として、どんな哲学なり思想なりが背筋に通っているか、それが大切だよ」ということですね。

何をしたかではなく、どう生きたのかの方が大切なのではないか。その人がどう生きてきたか、何を物差しにして生きてきたか。それを尋ねれば、この人に「このことをやっていただいていいか」「他のことをやっていただいた方がいいか」が分かるというんです。この「何をやってきたかよりもどう生きてきたか」に、いつでも着眼しているところに、志賀さんの強さがあると思うんです。

草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より

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