人づくりちょっといい話22
「意味ある人」を体現した人
「意味ある人」を体現した、素晴らしい歌人をご紹介したいと思います。
昭和4年生まれの歌人、鳥海昭子さんという方です。山形県の鳥海山の山麓に11人兄弟の長女として生まれました。農業実習の農園で働いている時に、長野県の歌人の歌をラジオで聴き、「私の気持ちと同じだ。これだったらおらにもできる」と思って勉強します。暇を見て人に本を借りたり図書館に行ったりして、与謝野晶子と石川啄木に憧れるんですね。農園にいたのでは歌の世界に生きることはできないと考え、父親に「家を出たい」と言うと、お父さんは返事をしません。父親との間に10日間の無言戦争をして、とうとう夜密かに家出をしてしまいます。この日、3月1日を「家出記念日」と名付けているんですね。
「忍従の角度に誰も背を曲げて吹雪の中の野道を生きぬ」「石垣の石の一つが母に似て見つめていると自分でもある」……こういう歌をお作りになっています。
東京に出て養護施設の洗濯婦になり、23歳年上の男性と結婚します。自身が継母に育てられ、そのお母さんが実によくしてくれた。あんまり素敵な継母なので「私もあんな継母になりたい」と、5人の子連れの男性と平気で結婚をしてしまうんです。ご自分は養護施設の洗濯婦として26年間も働くんです。いよいよ退職の年齢がきて「さあ、これから」という時に糖尿病であることが分かります。
もう目の前は真っ暗です。身を粉にして働いてきて、5人の継子に対しても、自分が恩を受けた継母以上の継母になったつもりでやってきた。そろそろ人生の幕が下りる時に神様がくださったのが糖尿病なんですね。自殺を考えます。その時の歌がすごいんです。「謝まりたい詫びたい人の居る故に今死ぬことは許されない」という。結局、それで頑張るのですが、何が支えになったかというと「故郷と貧乏と子ども。この3つが私を支えてくれた」と彼女は言います。だから「糖尿病になっても、それも考えてみれば貧乏の中に入ってしまう。この糖尿病と戦って勝とうとする意志が自分の命を支えてくれたんだ」と思うんですね。
糖尿病は食事療法が大変ですね。入院すると、長男が計量カップと計量スプーンを買ってきます。「お母さん、買ってきたよ。この通りにやるんだよ」と言って枕元に置くんですね。「ありがとうね」と言うと、この長男がいい長男で「一人だと思うなよ。一人だと思うから死が怖いんだ」と言って帰っていくというんですよ。こういう長男を育てた母親の背中というのが、あるように思います。
鳥海さんは、歌を作るために洗濯婦を26年間やってきて、結局、女流歌人として成功をしてしまうんです。自分で歩いた跡がそのまま道になってしまうんですね。これが『意味ある人』ということなんです。何も難しいことではないんですね。
草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より
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