人づくりちょっといい話43
地域社会のための「祈り」
横浜市立大学を退官され現在は名誉教授で、東洋大学の先生でもいらっしゃる伊藤隆二(いとうりゅうじ)先生という方がいらっしゃいます。伊藤先生は、不登校のうえに家庭内で暴力を振るう、大づかみにいえば手の付けられない子に対して、「さっきお母さんに聞いたんだけどね、君は小さいときから、欲しいものは全て買い与えられてきた。そして、何不自由なく育てられてきた。それでも、あなたはまだそうやって家の中で暴れ、学校に行かない。一体、何が欲しいの?君の家は一体何がないの?」と聞かれました。すると、その子どもは「私の家には一つだけないものがあります。それは『祈り』です」と答えたっていうんですね。実話です。
伊藤先生はこんな話も紹介しています。あるところからタクシーに乗り、行先を告げた。タクシーの運転手さんは「ハイ」と返事して、五秒間ほどハンドルにつかまってうなだれている。それからス―ッと発進した。「運転手さん、さっきは何をしてたの?」と聞くと、「『どうか無事に着きますように』と祈ったんです。私は、お客様が乗ると必ず祈るようにしているんです」と答えたといいます。五秒間の祈りですよ。
伊藤先生は、「カウンセラーのときに、不登校児から『祈り』という言葉を聞き、さらに、自分が乗ったタクシーの運転手さんが、偶然なのですが『お客さんに行き先を言われた後、五秒間祈ることにしています』と言った。なんということだろうと思った」とお書きになっていらっしゃいます。実際、私も驚きました。驚くばかりではなく、これが新しい「世教」ではないかな、と思ったんですね。
今年の四月から、いわゆる総合教育の時間が増えます。「学習時間を三分の一削って、その削った三分の一を総合学習の時間にし、それぞれの地域社会で、それぞれの学校が工夫してやってください」というもので、学校が全面的に請け負うことになるのですが、それを利用して、地域社会の質を高めるということがあり得ると思うんですよ。総合学習の時間を増やしたということは、社会的には「『ゆとり』を増やした」といわれています。まさに、時間は増えました。しかし、今いわれている「ゆとり」というのは「量のゆとり」ですよね。「総合学習の時間が何時間増えました。だからこれだけ『ゆとり』になったでしょ?」といわれますが、時間を増やしただけでは「ゆとり」にならないんですね。「ゆとり」には「量のゆとり」と「質のゆとり」がありますが、「質のゆとり」をつくるのが地域社会なんです。「量のゆとり」だけをやっていると、遊びほうけてしまうんです。「遊びほうけること」と「質のゆとり」は別物ですね。「質のゆとり」というものは、やはりそこに、その地域社会なりの「世教」がなければいけません。その「世教」の中心になるものとして、優しさ、思いやりなどいろいろあるでしょうが、「祈る」というのも大切ではないかと思うんですね。
草柳大蔵著「続・午前8時のメッセージ99話」(2002年発行)より
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