人づくりちょっといい話45
我が家の新ルール
孔子とその弟子たちが旅先で盗難に遭い、書物や衣服や食糧を車ごと奪われた。ほうほうの態であばらやに避難しているとき、弟子の子貢が孔子にたずねた。
「君子、窮スルコトアリヤ」
先生はふだん君子の道を説いておいでだが、君子といわれる人も困ることがあるんでしょうか。孔子は平然として答える。
「君子モトヨリ窮ス、小人ココニミダル」
君子だってもちろん困るときがあるよ。しかし、小人のように困ったからといってみだれたりしないんだよ。
原文では「みだる」に「濫る」という字を当てている。「乱」ではない。いや、「乱」は当用漢字ではモトは「亂」である。私のような年代のものは「亂」を「ノツマムヌ」と覚えた。七十年に程近い昔の話である。しかし、「みだれる」が「乱」ではなくて「ノツマムヌ」であることに大きな意味がある。左側のは糸がほつれてこんがらかっているさま、右側のはそのほつれを掬(すく)いあげて糸をまっすぐな状態になおすヘラのことである。
いまの日本、あらゆる分野でこんがらがってはいまいか。このうえ、みんなが「なんでもあり」をやると、個と個とがぶつかりあって余計こんがらがってしまうだろう。
そんなことを書くと、だから強い指導者が必要だという「指導者待望論」が顔を出す。いや、問題は徳育不在なんだから学校教育を変えなければダメだと「新教育論」を打ち上げる人もいる。いずれも、日本が心配で、早くなんとかしなければと気を揉んでいるのだから有難い声には違いない。しかし、指導者探しも教育再建もオイソレとはできぬ相談ではないだろうか。
ならば、身近なところから、糸のみだれを掬(すく)うヘラ作りを考えてみよう。たとえば新年を期して、「わが家の新ルール」を家族みんなで作ってはどうか。朝夕の挨拶をする、食べ残しをしない、テレビは三時間、いくらでもある。(平成12年1月4日付け静岡新聞コラム「窓辺」から)
静岡県「人づくりの道標~草柳大蔵先生のメッセージ」(2002年発行)より
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