人づくりちょっといい話16
ある家族の肖像
私はお正月を毎年外国で過ごすことにしておりまして、今年は南イタリアのアマルフィーという街のすぐ傍の、ラベッロという所で過ごしました。ラベッロの「ラ・マリア」というホテルに一緒に同宿していた家族のお話をしてみたいと思うんです。
お父さんとお母さんと大きい息子3人、家族5人が一緒に泊まっていらっしゃったんですね。3人兄弟の末っ子は知的障害があるようでした。家族は、食堂でいつでも一緒に食事をしていたのですが、私は席がすぐ傍だったものですから、彼らの会話や表情がよく聞こえたし見えたんです。末っ子が、フォークやナイフをちゃんと持てないんですね。柄をしっかりと握ってしまってお皿の中の食べ物を食べるから、当然落としたりこぼしたりする。すると、その子の目の前にいるお兄さんがパチッパチッと指を鳴らして、怖い目をして弟を見るんです。それで弟はすっかり縮みあがってしまって、お父さんやお母さんに言われる通りにフォークを持ち直して食べるんです。食事の途中に大きな声を出したり貧乏ゆすりをして止まらないのですが、その次のお兄さんがその子の足をポンとたたいて止めさせます。それを見ながら「ああ、家族というのはこういう生き方があるんだな」と思ったんです。障害のある子を家族全員で包んでいるんですね。
後で聞いたんですが、毎年のお正月を家族で南イタリアのいろいろな町で過ごすらしいんです。全員で彼を囲んで、一週間なり十日なりを過ごすというんですね。
その食堂の風景を目にした二日後に、ロビーに降りていきましたら、お母さんがロビーの隅に座って何か呆然と宙を見つめていました。「この子を今まで育ててきた」という思いの糸を手操っているようでもあるし、「私たち夫婦が死んだら兄弟があの子の面倒をみてくれるかしら」という不安のようでもあり、そういうものが脳裏をよぎっている感じがしました。
イタリアでは、家族が1年の最初の日を過ごす時に、チェノーネというしきたりがあります。12月31日から1月1日になる時にシャンパンを抜くというもので、日本で言うなら除夜の鐘の時のですね。シャンパンを抜いてご飯を食べるのですが、そのチェノーネをやっている時に、お父さんが「これだけのご馳走が出たからカメラに撮っていこうね」と言って、デジタルカメラでズーッと撮影をしていきます。末っ子に「さあ、お前が読みなさい」と言って、その子がメニューを読んでいくんですね。家族が、そういう時を過ごしながら絆を深めていくと言いましょうか、そういうことではないかなと思ったんですね。
日本に帰って参りましたら、新刊書の広告に『家族なしに生きられるのに』というサブタイトルがついていました。違うんじゃないかな。やっぱり家族があるから、私たちの生活が成り立っているのだと思いますが。
草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より
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